愛敬浩一 aikyou kouichi


 

●著者略歴

1952年群馬県生まれ。和光大学卒業後、同大学専攻科修了。日本現代詩人会会員。現代詩人文庫17『愛敬浩一詩集』(砂子屋書房)、新・日本現代詩文庫149『愛敬浩一詩集』(土曜美術社出版販売)等多数。近著に、詩集『メー・ティはそれを好まない』(土曜美術社出版販売)の他、評論・エッセイとして『草森紳一の問い』(詩的現代叢書)、[新]詩論・エッセイ文庫10『詩人だってテレビも見るし、映画へも行く。』(土曜美術社出版販売)、[新]詩論・エッセイ文庫16『大手拓次の方へ』(土曜美術社出版販売)など。現在、群馬大学非常勤講師。

 

●『遠丸立もまた夢をみる』あとがき

今、こうして書き終わって、この文章の中身に一番驚いているのは私自身である。
私は遠丸立に対して、これまでずっと、基本的には親しみの思いしか持っていなかった。ところが、久しぶりに彼の文章を系統的に読み返し、それを論評しているうちに、オマージュになるはずだった私の言葉が、いつの間にか鋭角的になり、しだいに非難じみたものになってしまった。
いやいや、今でも、遠丸立の〈夢〉に寄り添う気持ちがないではない。たぶん、遠丸立が歴史的存在となってしまったというだけなのであろう。
遠丸立の仕事が、私に刺激を与えたことに意味があり、私も私なりに、文芸批評の〈夢〉を見ようとしたということなのだ。遠丸立が吉本隆明や埴谷雄高の仕事に触れ、自力でものごとを考え始めたのと同様に、私もそのようにしたかったのである。ロラン・バルトのテクスト論ではないが、テクストが読まれるたびごとに新しい意味が生まれる場≠ナあるとするなら、遠丸立の批評も、忘れてはならないテクストの一つであると言っておきたい。遠丸立の『恐怖考』に出会わなければ、私が批評の〈夢〉を見ることもなかっただろう。
また、もしも、様々な方面へ触手を伸ばしてしまった本書を、狭義的な意味で〈遠丸立論〉とするなら、そのモティーフは、遠丸立の、孤立する著作『記憶の空間』を一般的な場≠ヨと救い出すということになる。

《われわれの呼び声が虚空の中で消えてしまわないためには、わたくしを聞こうと身がまえている人たちが、わたくしのそばに必要であります。その人たちはわたくしの同輩でなければなりません。わたくしとしては、後ろに戻ることなどできますまい。なぜなら、わたくしの超越性の運動は、たえずわたくしを前へ前へと運んで行くのですから。そして、わたくしは未来の方へ一人で歩いて行くことなどできません。そんなことしたら、わたくしは、砂漠の中で、ふみ迷うでしょうし、わたくしの足跡もことごとく意味のないものになるでしょう。だから、わたくしは、人たちがわたくしの超越性に従いて行くことができたり、追い越すことができたりするような位置を彼らのために創り出す努力をしなければなりません。彼らの自由性が、わたくしを使用するために、そして、わたくしを追い越すことによってわたくしを保存するために待ちかまえていることがわたくしには必要です。わたくしはその人たちのために、健康、知識、安楽、閑暇を求めます。とりもなおさず、彼らの自由性が、病気、無知、貧困と戦っても、消耗しないためです。》(青柳瑞穂=訳)

ボーヴォワール『人間について』(新潮文庫・一九八○年九月三十六刷改版)から引いた。誰の言葉でも良かった。ただ、私たちは自力で考えなければならないものの、ただ一人で生きているのではない、ということだけを確認しておきたかったのである。自力で考えるしかないにせよ、文学そのものに内在する価値を実感できる場≠ニいうものが必要だ。遠丸立の文芸評論を振り返りながら、改めて吉本隆明や埴谷雄高を、きちんと読まなければならないと思ったことだった。彼らの批評の徹底性が、私を意識の果てまで連れ出そうとするのである。

《……過去は想起(とその外挿)の中にのみ「在る」のならば、想起する生物の一切がいなくなったとき過去は無となるのか。この問いに答えるすべはない。そのときの過去を叙すべき言葉を想起する人間は知らないのである。そのときもなお過去は「在り続ける」という人は、「過去」という言葉を使うことによってなお「想起」の言葉を使っているのである。つまり、その人はなお想起し続けているのである。これは仮定に反する。だが「過去」という言葉も失せるとき一体過去について何を語ることができるのだろうか。それは生の言葉で死を語るのに似たことだからである。》

大森荘蔵『流れとよどみ ─哲学断章─』の、最後のページにある言葉である。これなどは、ル・クレジオの『物質的恍惚』と重ねて読んでおきたい。