秋元千惠子 akimoto chieko


 

●著者略歴

山梨県に生まれる。歌人。現代歌人協会会員。日本ペンクラブ会員。
1968年上田三四二に出会い、「新月」に入会。のち選者を務め、三四二没後、退会。1990年三四二追悼の「雉」を母体に同人誌「ぱにあ」を創刊。著書に歌集『吾が搖れやまず』『蛹の香』『王者の晩餐』『冬の蛍』、歌文集『秋元千恵子集』、評論『含羞の人─歌人・上田三四二の生涯─』『地母神の鬱 ─詩歌の環境─』など。現在、短歌文芸誌「ぱにあ」代表をつとめる。

 

●『地母神の鬱』所収「詩歌の環境」より

 くづ籠に花捨てがたし花のため花送り籠といふものなきか

上田三四二先生の死後に刊行された第六歌集『鎮守』の「花と病室」の中の一首である。晩年の先生の病室には見舞客が多く、なかには桜を枝ごと持ち込んだ人もいた。咲き終えぬ花も容赦なく捨てられたかもしれない。明日知れぬいのちを懸命に生きていた先生だからこそ気付いた〈花送り籠〉ではあろうが、花という他者への思いやりの染む歌である。「思いやり」の心が、荒んだ人類に蘇って欲しいと切に思っている。
この先生の追悼号『雉』が母体の「ぱにあ」であるが、現在までの二十五年間の時代と共に私の歌風は変貌した。成り行きであることも否定はしないが、自覚し確信して作歌を試み始めた大事な切っ掛けがある。
平成八年(一九九六)十月六日(日)。「毎日新聞」の〈うたの現在〉に場を与えられ、レインボーブリッジを意識した「夢の浮橋」をタイトルに、塚本邦雄、斎藤史、俵万智の作品を借りて、「環境詠」の時代。と自らに宣言することが、許容された事である。
「ぱにあ」の今日は、会員をはじめこうした人々の「思いやり」の心の賜である。
おかげで「詩歌の環境」の連載を「ぱにあ」の巻頭で書くことが出来た。それを一冊にして刊行した『地母神の鬱』も、実は、「思いやり」の心が根に在ることを伝えたい。