八覚正大 hakkaku masahiro


 

●著者略歴

一九五二年 東京都練馬区大泉に生まれる(父母の郷里は長野県上諏訪と伊那)。
一九七一年 都立国立高等学校卒業
一九七六年 早稲田大学理工学部数学科卒業 (さらに都立大学人文学部仏文科卒業、後に東京学芸大学教育学部大学院心理学科卒業) 受験勉強中に離人症を体験し立体視感覚・世界の実在感を失う。苦しい内的葛藤を経て、三年後空間感覚を回復する。また数学科では基礎論を学び数理論体系の無矛盾性を、仏文ではサルトル・カミユなどの実存主義を、さらに後年、精神分析などをインテンシブに学んだ。
一九八〇年 高校での教職に就き現在まで在職
一九八三年 結婚(やがて三人の娘をもつ) 三十代半ば、過労から単核症(ウイルスで肝臓をやられる)になり四十日ほど入院する。この時、社会システムからの離脱を余儀なくされ、「異邦人」の獄中体験に重ねて駒としての自己を意識し、以後システムから、どこか?離・離脱した感覚を内在化させる。
一九九一年 小説「十二階」で新潮社新人賞を受賞 その他、日教組文学賞を数回(小説「シェルター」など)、また小説「カウンター」で太宰賞の最終候補にもなったりした。
二〇〇〇年 父親に動脈瘤が見つかり、さらにパーキンソン病が併発し、以後、介護態勢に入っていく。極度の睡眠不足に耐え、家族と協力し合い父親を看取り切る。人間の末期の命のあり方、妄想への対処などあらゆることを実地に学んだ。
二〇〇六年 父親死亡
二〇〇九年 母親、心臓病で死亡。二週間の短い闘いではあったが、実生活からの剥離による人間の狂気と末期患者に対する医療体制の実態をつぶさに見詰めた。その後、親を看取る側の現実を克明に記した未刊の体験小説「その先」を書き続けた。
二〇一二年 第一詩集『朝一の獲物』
二〇一三年 第二詩集『学校のオゾン』

 

●『朝一の獲物』あとがきより

自分という実存が重力の底に引きずり込まれ、あるいは宇宙のかなたへ拡散してしまう……そんな感覚に触れたことはないだろうか。そんな時、言葉は立ち上がる足場を失ってうずくまる。  
言葉とは人と人をつなぐものだから、それを失えばたまらない孤独に陥ることにもなる。もっともそれらは文学を志した身には、ある種「貴重な原石」になっているのかもしれない。生きている限り、掘り返しその体験を言語化し直すことは可能だからだ。  

長いこと散文を書いてきた。俗に小説というジャンルに踵をおいてきた、ように自分では思っている。しかし言葉をいくら紡いでも、打ちだして展開しても、満足できない感覚が顔を見せ、すれ違い去っていく後ろ姿を見送った記憶は無数にある。  
青春の一時期、人に見せることを前提としない、独りよがりの言葉の表出を試みていた時期がある。小説という形を取る以前の、詩の粗形のような感覚はあった。長いことそれは埋もれたままで、「詩のこと」は分かりません、というスタンスを取ってきた。本当は詩的な言葉の表出に心の解放を期待し、新しい感覚との出会いを渇望していたというのに。  

ここ五年間で両親の供養を終えた気がする。介護を入れれば十年の長きにわたった感がある。子育ても加えれば、旧家族・新家族合わせて三十年の「生活」があったように思う。そうして気がついたら、五周目の辰年をもうここに迎えている。  
直面したことから逃げない──それが私のスタンスであり続けた、といえば通りは良い。その実は、強迫的な心性ゆえに直面したことを理解し乗り越えなければ「その先」へ行けず、離れられなかったのだと言えよう。そこを生き延びさせてくれたのは、言葉であり、それを紡ぐことはカタルシスとなり、事象と自分との境に「間」を差し入れ、自己を見直すメタ認知の立場を与えてくれた。言葉がなければ、私は生き延びることができなかった気がする。  

昨年三月に大地震があった。その巨大な不条理は戦争にも似て、我々の無力と行き場のない怒りを感じさせもしたが、この世に生まれた自分が後の人生を?き出されたものと感じたのは、自分の父親、母親の死だった。  
生業からいえば理系に属する立場を生きてきた私は、当面の役に立つ知的解釈とか、「仕掛け」を作って大きな虚構の作業をするという社会的パフォーマンスへの興味も薄れ、もっと命の原形・魂への思いと、それが他者への痛切なメッセージとなる言葉の表出の在り方に引かれだした。  
それは知的な理解とはほど遠く、言葉を紡ぎ・掻き出し、あるいは吐露し放滴するといった行為として身体を動かすようになった。それが溜まりだし、メールという現代の方便によって、自分と心的な関わりをもつ人々へ見境なくまき散らしていったのだ。それを集め、煮詰め、形にしたのが、今回の詩集である。

●『学校のオゾン』あとがきより

それにしても 人生はどんなに独りの思いを紡ごうとしても 常に身の回りの「他者」との関わりの中で 直面し対峙し撓められ乗り超えられ 思いは紡ぎだされてきた その最たるものが 実人生で出会った多くの「生徒」という実存であったことを思えば 「生徒によって教師は作られる」とか「生徒のお陰で教師として鍛えられた……」などという 事実の俗な感懐を踏み跨いで 出会ったのは偶然だけれど その後からすべて必然になった(人生の全てが実はそう)という思いを 確認し直すだけのこと だから「君たちのこと」はすべて忘れない というか忘れようがないのだ その位置づけは別として……

そう その位置づけこそ これからの自分にとって 唯一の楽しみとさせてもらいたいものだ生きている限り思索の中で紡ぎ直していく 自分の教職の中での関係──それこそ 人生の得難い素材として さあ 思いっきり料理させてほしい! 
甘いも辛いも 酸っぱいも苦いも 歯触りも歯ごたえも……あらゆる食感の中に 十全に過去の真実を捉え またこれからの新しい味として迎えられるものになれば こんなに調理の遣り甲斐があるものもない