河津聖恵 kawazu kiyoe


 

●著者略歴

1961年東京都に生まれる。京都大学文学部卒業。1985年第23回現代詩手帖賞受賞。詩集に『夏の終わり』(第9回歴程新鋭賞)、『アリア、この夜の裸体のために』(第53回H氏賞)、『青の太陽』、『神は外せないイヤホンを』、『新鹿』など。野樹かずみとの共著『christmas mountain わたしたちの路地』(澪標、2009年1月)。詩論集に『ルリアンス──他者と共にある詩』。京都市在住

 

●ブログ

http://reliance.blog.eonet.jp/default/

 

●『天秤 わたしたちの空』あとがき

不思議な出産

哲学者シモーヌ・ヴェイユは、詩人でもあった。これまでに発見されているものとして、九篇の詩(『シモーヌ・ヴェイユ詩集』(小海永二訳・青土社)で読むことができる)がある。多くの詩人とも交流があった。箴言のアンソロジーである『重力と恩寵』を読むと、つよく美しい飛躍の文体に、詩的筋力をたしかに感じる。  この春、野樹さんと二度目のコラボをしながら、かつて読みさした同書をふたたび繙いた。不思議なことにかつては難解に思え、宗教的な匂いに抵抗感さえ感じた文章に、今度はぐいぐいとまさに詩のように引き寄せられた。それは、ヴェイユの意図するところを少しは感じ取れるほど、私なりに「不幸」の体験をいくつか経てきたためかもしれないし、ヴェイユの「不幸」や「重力」といった独特のキーワードが、決して過去のものとは映らない、今の社会の状況もあるからだろう。  ヴェイユは、現在世界と日本の社会を根幹から締めつける「不幸」のまさに原型を、すでに戦間期に体験し感受していた。例えば、当時の「非正規雇用」の実態を描く『工場日記』、組合運動や人民戦線でマルクス主義や政治の限界を痛感し、みずからの魂の問題に立ち戻り思索した『重力と恩寵』や『神を待ち望む』、ドイツ支配下で精神的堕落を呈した祖国フランスに対し、未来のための提言をした『根をもつこと』などは、ベルリンの壁が崩壊しグローバリズムが席巻する今日の世界に読むと、頷くところが余りにも多い(二十一世紀の今そうであることに暗澹とした気持にもなる)。しかしヴェイユは社会批評家ではない。その思想は、ひとりのすぐれた女性の知性と、他者の不幸に鋭敏に反応する感受性との、言葉の詩的力による奇跡的なアマルガムである。  この希有な哲学者は、か弱き他者のために、か弱き自身をあげて書いた。言語の総体で他者に同苦した。希望を持つことが困難な時代に、たったひとり絶望を言語の次元で深く見つめた。そして他者のためにひそかな希望を発火させた。そうした「利他性」は、いつの時代も「詩人」の定義の核にあるはずだ。私がヴェイユに惹かれ、詩を無限に触発される理由はそこにある。  野樹さんの中にあるヴェイユへの熱い思いが、私をつきうごかした。立ち現れる様々な時空とイメージにも励まされ、言葉たちは、ほんとうの詩へと向かう勇気をもらった。前回のコラボ『christmas mountain─わたしたちの路地』でも感じたが、自分の言葉をたしかに受け止めてくれ、信じてくれる他者がいるというのは、何よりも心強いことである。また一つコラボという貴重な体験の中で、言葉と言葉が励まし合いながら、共同の時を濃密に紡いだことを、私はいつまでも忘れないだろう。不思議な出産のように。  ヴェイユ生誕百年。その詩的箴言は、いまだプロメテウスの火のごとく輝きつづける。私たちの言葉は、そのいとおしい火によって照らされ護られ、やがて焼かれた。読んでくれる方々の魂の中で、ゆたかな無としての「うた」となり蘇生することを祈りたい。