宮坂杏子 miyasaka kyoko


 

●著者略歴

昭和17年10月19日群馬県太田市生まれ。
昭和37年幼稚園経営者宮坂小久の長男宮坂公夫に嫁ぐ。
平成9年杉並新聞の歌壇に投稿、選者秋元千恵子氏に出会う。
平成10年短歌会「ぱにあ」に入会、現在、短歌文芸誌「ぱにあ」同人。
平成12年12月より前園長(宮坂公夫)より園長職を引き継ぎ現在に至る。

 

●『辛夷咲く園』帯より

由緒ある「杉並幼稚園」の、四代目園長という重責と使命を果す著者は、心の糧として、作歌を始め、生来の才能に恵まれながら、「二兎を追わぬ」覚悟をしてきた。その暦日の集大成とも云うべき『辛夷咲く園』のテーマは、彼女の独壇場である。挿入の写真を楽しみ、素直な文章に教えられる一冊でもある。これまでの「自分史」とは質を異にした、これからの時代が必要とする、新しい分野を示す趣のある歌集である。(秋元千恵子)

(作品抄)
朝礼の幼が吾を見つめる眼「みんなちがつてみんないい」
幼子を亡くしし人の思ひ深しオルガンに弾く「しやぼんだま」の詩
かたつむり、だんご虫にも名をつけて擬人化上手は幼の知恵よ
今日も雨 園舎の窓に顔つけてわんぱく小僧は唇を尖らす
白き歯でかぶりつきたる林檎より飛び散る秋は少年のもの

 

●『辛夷咲く園』あとがきより

私にとって、短歌との出会いは今から十五年前に遡る。友人が俳句を始めたとの話を聞いた時である。刺激を受け数句ひねってみたが、思うように出来ない。又、字数の少なさにもどかしさや難しさを感じた。  

そんな折、学生時代国語の時間に暗誦させられた万葉集、古今和歌集など歌のしらべを心地よく感じた事が思い起こされ、何首か作ってノートに書き溜め始めた。園長職である為に、もっぱら子ども達を歌う事が多く、成長の記録にも繋がりおもしろくなり始めたが、作った歌を読み返してみるとどれも同じようでつまらない。その後、二年程カルチャースクールの通信講座に参加した。そんな折、私の住む街で発行している杉並新聞の「歌壇」に投稿したところ、選者の秋元千恵子先生の目に留まり掲載させて頂く機会を得た。

その後、現在の短歌文芸誌「ぱにあ」への参加に繋がってゆき、同人の一人となった。自分にとっての世界が広がり、月に一度の歌会を楽しみに参加しているが、そのお陰で私の人生に彩りを添えてくれている。

今回初めての歌集を出すにあたってどのような本づくりにしようかと考えた結果、多くの歌人の方達の編集の仕方とは違う私なりの歌集にしたいと思った。先生からもアドバイスを受け、自分史的な歌集にしようとの思いから邪道と思いつつ写真、コメントを多く取り入れた。歌は一章〜三章に収め「園児の歌」「日常の歌」「旅の歌」とに分けた。園児からは生きる力をもらい、日常の歌は家族を取り巻く様々な思いを、三章は日常から離れ個人の時間を楽しみたいとの思いから、旅の折々を歌ってみた。私の人生のページにおいて、歌集を上梓するなどまったく存在しない事であったが、夫からも応援をもらい、出版に至ったことは有り難い出来事である。歌を通しての友人にも恵まれ、仕事以外での仲間が増えた事も、人生後半において嬉しいかぎりである。

園にとって今年は創立八十五周年となり、園舎も老朽化した為夏休みに耐震工事を行なった。九月の始業日から安全で快適になった園舎での子ども達を見て、前にも増して生き生きと過す姿に今は充分満足している。これからの課題としては自分の世界をもっと広げた歌作りが出来たらと願いつつ、ゆっくり歩んで行くつもりでいる。