佐藤聰明 sato somei


 

●著者略歴

独自の作風で知られる佐藤聰明は独学の作曲家。一九九九年ニューヨーク・フィルハーモニーによる世界を代表する五人の作曲家として作品を委嘱されたミレニアムコンサートなど、世界的に活躍している。ことにアメリカではオーケストラ公演を含む一七回の作品演奏会が催されている。ダーティングトン国際音楽祭(イギリス)、チェルシー音楽祭(ニューヨーク)などのテーマ作曲家。内外でリリースされたCD作品集は二十枚に及ぶ。小栗康平監督の日仏合作映画「Foujita」や、陳傳興監督の中国映画「水を掬えば月は手に在り」などの音楽を担当。著書に「耳を啓く」(春秋社)がある。

●『幻花』あとがきより

ある音楽祭で私のバイオリン協奏曲の手書きの楽譜が展示されました。
「佐藤さんはオーケストラ曲の楽譜も手で書くのですか」
四十段に近い五線紙に、細かなレース編みのように書かれたバイオリン協奏曲の楽譜を見て、若い作曲家たちはあきれた声を出し、まるで前世紀の遺物を観るような目で私を見ました。パソコンで作曲し譜面を作り印刷するのは、いまや常識だからです。そのうえこの機械は仕上げた曲を演奏すらしてくれます。
私のように一音一音ピアノで確かめ、五線に手書きで記譜する作曲家はもはや希少に属するのに違いありません。
私どもは実に奇妙な時代に住まっています。
いつの間にか気づかぬうちに、コンピューターという機械が人間のあらゆる活動の中心に鎮座し、ことごとくを差配するようになりました。この機械を打ち捨てることはもはや誰にもなしえないし、その支配からも逃れえません。しかもこの安直な利便性に人はなじみすぎました。
テレビドラマや映画の音楽のほとんどがパソコンとシンセサイザーによって作られるといわれ、ぼんやり聞いていると本物のオーケストラと変わらぬように聞こえてきます。
たとえばバイオリニストやピアニストが一人前になるのには二十年近い修練が必要ですが、音楽の基礎的な知識さえあれば誰もがパソコンで自在にバッハやショパンを演奏できます。演奏家が練習に練習を重ねてようやくものにしえる超絶技巧的なパッセージですら何の造作もありません。
パソコンの演奏機能はまだ途上にあります。ことに音色です。どうもこの機械は、絃と弓がこすれる雑音のような音色は計算しにくいようです。しかし弦楽器にはこの雑音がうみだす複雑な倍音が必須なのです。それによってふくよかで美しい音色が醸されるからです。
近い将来これが音楽家の耳ですら聞き分けられないほど十全になったとき、演奏家の存在意義が問われるのに違いありません。同時に、音楽という人間の根本的な精神活動が、いまとは異なる道を歩みはじめることを意味します。それはまた作曲という行為にも深甚な影響を及ぼすでしょう。
このような易々たる簡便性によって、何を獲得し何を喪失したのかを、一度立止まり考え、その軽重を量る必要があります。
私どもはそのとば口に立っているのです。