菅井敏文 sugai toshifumi


 

●著者略歴

1950年生。詩集『INERTIE』(1999年)。

 

●『コラージュ』あとがきより

 結局は、詩は、生き方の質の問題の反映になる。たぶん、生き方が濃ければ濃い言葉が生まれ、濃い詩が生まれる。生き方が濃いとは、自分に(正義かどうかは別に)誠実であり、自分の納得に向けて、必死に言葉を紡ぎ出す苦しさを内包して日々自分と闘っているということであるが、誰でも多かれ少なかれしていると言えばそうなる。チャレンジするよう仕向けられている、そんなに力むほどのことでもないと言われればさなりということになるが、自覚して意欲することは大事だと思う。新しい発見がなければ、惰性は進行する。惰性の上に居座るのも生の一つの方法であるが、意識は、惰性からのpro-jetであり、経験による変化の手ごたえのつかみ取りである。  
 さて、ここからである。定義のしにくい言葉であるが、できうる限りの明晰さをもってこれからも詩作品を書こうと思う。明晰さとは、自分の言葉の限界を明らかにしていくという程度の意味であるが、言葉の出てくる必然性を反省的に見ながら、今の在り様を自分において対象化していくということである。この言い回しも言葉遊びに近いが、ともあれ、この詩集の発刊を通して人生の諧調の一つの区切りにしたいと考えている。現在時の針を自分で回してみたい。