谷口ちかえ taniguchi chikae
●著者略歴
本名:谷口睦枝。旧満洲奉天生まれ。京城(現ソウル)から3歳で大分県に引き揚げる。9歳で上京。早稲田大学時代に詩作を始めるも、そののち中断(30代後半に英語のtutorを務め、詩作も再開)。早稲田大学第一文学部仏文科・一橋大学言語社会研究科修士修了。
詩誌「幻視者」「橋」「砂」「地球」を経て現在、同人誌「ここから」所属。(一社)日本詩人クラブ、日本現代詩人会、日本文藝家協会所属。
詩集に『光のノック』(地球社、1990.10)、『逆光のアングル』(砂子屋書房、1996.11)、『地図のかなたへ』(土曜美術社出版販売、2010,9)、『木の遍歴』(土曜美術社出版販売、2019.1)、『地図をはずれて』(思潮社、近刊)。翻訳書にカリブのcreole詩集『ポール・キーンズ・ダグラス詩集』(書肆 青樹社、2002.11)、デレック・ウォルコット原作の訳詩劇『オデッセイ』(国書刊行会、2008.5、?日本図書館協会選定図書)。他に手作り詩集『羽化』(1986)、パソコン個人誌「Le Petit Cadeau1、2、3」(2000、2002、2005)がある。
●あとがき
二十一世紀になろうとする頃に地縁ができたカリブ海のトリニダードには、二〇〇二年二月に出かけた。バブル崩壊で日本経済の先行きが見通せない時期、多国籍企業に就職してトリニダード・トバゴでキャリアをスタートした親族がおみやげに持ち帰った詩集のなかで、英語とも違うクレオールのリズム感と解放的な語り口が異彩を放っていた。試しに……と訳し始め、それを少数部、パソコン個人誌「Le Petit Cadeau 1」に発表したのが書肆青樹社の丸地守氏の目にとまったようだ。「詩と創造」誌に連載で紙面を割いていただくことになり、一冊にまとめる構想もあって(世界詩人叢書11『ポール・キーンズ・ダグラス詩集』書肆青樹社、2002.11)早く著作権の申請を、と著者に会いに出かけた。 トロント経由で着いた二月第二週のトリニダードは、リオやニースと並ぶ世界三大カーニバルに数えられる一大ページェントの真っ最中。本文で色々ご紹介したが、多重的な意味で圧倒的な衝撃を受けた。これを記録にとどめておかない法はない、と滞在中に書き始め、帰国後に書き継いだ日記はすぐ百枚近くになった。未発表のままだったが、この度ここに抱き合わせることにした〈第三部 持ち帰った現地通信――トリニダード・トバゴだより、カーニバル・カーニバル2002〉。
当時、開設していたHPにカリブの原書を読む会「輪イネット」を併設し、口承文学と純文学のジャンルを二つのグループにして輪読を始めた。忙しい人ばかりで長続きはしなかったが、自身にはカリブ文学全体を概観しつつ、脱植民地主義の観点からも大きなヒントを得て、歴史からくる本質と魅力を学ぶ端緒となった。もう一歩読書を進める機会にできれば……と大阪で故・志賀英夫氏が主宰する月刊詩誌「柵」に連載でエッセイを書かせていただくことにした。今回、本書の大半を占める右記の二項(一部と三部)は、いつかは形にしなければと思いつつ長い年月が経って今日に至ったもの。「柵」の連載をいったんストップしたのは、その頃から公務として日印交流の手探りを始めたためである。
(一社)日本詩人クラブに入会して数年が経った二〇〇七年、クラブの法人化と国際交流に重きを置く方針が打ち出され、当時はそれに伴って担当理事を二名置くことが決まった。ジャイカを通して、足かけ十七年間もスペイン語圏を中心にした中南米で過ごされた細野豊氏(1936〜2020)と協働することになったが、前任者の石原武氏は、同時に〈今こそ、インド〉とも思われていたようだ。私のほうは日印の架け橋を探ることになり、インド側の潮流もあって多くの刺激と手応えをいただいた。が反面、日本ではまだ認知度の低いカリブを近い将来、発信しなければ……という思いが募った。
願っていたそんな機運は、日カリブ交流年/ジャマイカ&トリニダード・トバゴ国交樹立五十周年を記念する二〇一四年、カリブ海のトップ校・西インド諸島大学英文学名誉教授にして詩人・文芸評論家のエドワード・ボゥ氏を招聘して催した「国際交流カリブ2014」を通して実現した。主催団体の全面的な協力は言うに及ばず、行事の前後あるいはそれ以前から、複数の団体・詩誌から反響や発信の機会をいただき、それらを第二部「カリブ海の余波」として抱き合わせにさせていただいた。 本書の発行元・洪水企画もその一つ。当時〈詩人の遠征シリーズ〉での出版企画もあったのに、公務や個人的な多事・多難が重なって大幅に先延ばしになり、主宰者の池田康氏にはご迷惑をおかけした。
本年は再び巡ってきた日カリブ交流年(日・カリブ交流年2024―外務省(mofa.go.jp))、ジャマイカ&トリニダード・トバゴ国交樹立六十周年。以前に比べれば下火だと感じるが、今年こそ長年の課題を果たしたいと思っていた矢先、クラブの海外客員会員だったDr.エドワード・ボゥの訃報が年頭に入った。ショックとともに二十年来のカリブ関連の様々な出来事が駆け巡り、そのニュースおよびカリブとの出会いと再会の記事を、本文の序章とした。一冊にまとめるには時間的なスパンが長く、発表の場も多岐にわたっているため、見直しをしながら初出リストの冒頭に書いた方向で、難しい加筆・修正を試みた。この一冊が何らかの、新たなメッセージとなることを願っている。