塚田恵美子 tsukada emiko


 

●著者略歴

昭和24年  東京都生れ
昭和46年  学習院大学 経済学部卒業
平成19年  松本中日文化センター  久保田幸枝先生・短歌講座受講
平成20年  「短歌新潮」入会
平成24年  短歌文芸誌「ぱにあ」入会
平成30年  現在編集同人

●『ガーコママの歌』あとがきより

偶然の出会いが、私を、このあとがきを書いている此処に連れてきてくれました。
平成19年、大町市の民生委員・民生主任児童委員の任期最後の全体会合の広い会場には丸テーブルが何台も並びます。テーブルに着いた私の隣の女性は初めてお会いする人でした。丸山英子さん、この人こそが、短歌とは無縁の世界の私を短歌とつないでくれました。
出会いは縁となり、縁はまた新たな縁をつないでくれました。
その年から丸山さんにご一緒させていただき、松本中日文化センター短歌講座の受講を始めました。月2回の久保田幸枝先生の講座は和やかななかにも緊張感がありました。他の受講生の方の歌も勉強しながら、私は歌を学ぶ心が作られていったように思います。2年ほど後文化センターが無くなり短歌講座も終了となりましたが、久保田先生には以来ずっと短歌の指導をしていただいております。
平成20年から、丸山さんが会員でもある「短歌新潮」に入会し、歌会に出席するようになりました。作歌の難しさ、自分の想いを三十一文字にのせる面白さ、歌会で楽しく勉強させていただきました。
平成24年、久保田先生のいらっしゃる短歌文芸誌「ぱにあ」入会、その年の冬号から拙い歌を載せさせていただき今日に至っております。
このたび、「ぱにあ」の秋元千惠子代表から歌集上梓のお話をいただき、始めはかなり躊躇いたしましたが背中を強く押してくださり、上梓することにいたしました。また、我が家は合鴨農法を始めて十四年になります。「ぱにあ」の中に「風を起こす」と題し私の拙い文章も載せさせていただいております。農業を通して見た日常生活、猿や熊、鷹と鴉との(ある意味)戦などを書き綴ってます。そのような場を下さった秋元代表にはあらためまして感謝をいたします。

歌は、農業、生活、家族、亡き母の思い出を軸に、「短歌新潮」入会から「ぱにあ」の今日までの歌の中から選び、ほぼ年次順に収めましたが前後している歌もあります。
農業の歌の多くは合鴨農法を詠っておりますが、全国でも少数者のこの農法を始めたきっかけの事は歌には無いので、ここに少し書き記します。
大学に進学のため息子は家を離れるという日の朝、玄関を出て振り向いた息子は言いました。「お母さん、家の米は送らなくていいよ。ネットで合鴨米を買うから」と。私は咄嗟のことで「わかった」と答えるだけでした。我が家はこれまでも減農薬に努めてきました。雑草だらけになったり、葉は虫に食われたりしてきましたが、彼が食べたかったのはこの米ではなかったのです。食べて満足する子を見て幸せになるのが母性です。子には自分の家の米を食べさせたいという、米農家としての親のプライドと母性で始めた合鴨農法です。その年から無農薬の米を作ることになり、一歩ずつですが今では全部の田を合鴨農法にしております。
出会いも、一言も人を動かす力があります。私は動かされる心を持ち続けたいと、小さく願い続けております。

 

●『風を起こす』あとがきより

私は短歌文芸誌『ぱにあ』に二〇一二年に入会し、歌詠みの拠り所にしております。そして二〇一五年からは“歌の現場・「風を起こす」”と題して、合鴨農法のこと、家族・暮し、地域の行事、小学校との関わり、四季折々の景色など思いのままの散文を綴り、今年の秋号で連載十二回になりました。私自身十二回も書き続けられるとは、思ってもいないことで、これは『ぱにあ』の秋元千惠子代表の広い懐のおかげと深く感謝いたします。
去年、歌集『ガーコママの歌』の上梓にあたり私の背を強く押して下さったのは秋元代表でした。そして、短歌と人生の先輩である久保田幸枝さんです。
皆の後押しで出来た歌集を手にほっとしている所へ、今度は「風を起こす」を纏めたエッセイ集を出してみないかと勧められました。私には夢のような話でしたが、夢は一歩踏み出せば叶えられるのだという思いから決意いたしました。秋元代表に手を引かれて実現したエッセイ集です。