有働 薫 udo kaoru


 

●著者略歴

1939年東京都杉並区生れ。1961年早稲田大学仏文科卒。現在、町田市在住。第一詩集『冬の集積』(1987年詩学社刊)、第三詩集『雪柳さん』(2000年ふらんす堂刊)、第六詩集『幻影の足』(2010年思潮社刊、2010年度現代詩花椿賞受賞)。ジャン= ミッシェル・モルポワ、レジーヌ・ドゥタンベル他フランス現代詩翻訳。

●『骨の列島』あとがきより

マルク・コベールがはじめて手紙をくれたのは、一九九三年七月、大阪箕面市からで、大阪大学でフランス語を教えに来日した、ジャン=ミッシェル・モルポワに紹介されたとの内容だった。当時、今は亡き早川泰栄氏の主宰する同人詩誌『セルヴォ』に二篇ほどコベールの詩を訳した(詩篇のうちの短い二つの詩参照)が、その頃の彼の詩は単純明快でみずみずしかった。それらの詩の青年らしい爽快感は忘れられない。一九五二年生れのモルポワ、一九六四年生れのコベール、それぞれタイプの異なる詩人だが、エコール・ノルマル出身の詩人という点では共通している。ただ私の眼には、比較しては申し訳ないが、コベールはいっそう自由闊達、放浪性、国際性の色が強く写る。文学者としてはエジプト・コプト出身の詩人ジョルジュ・エナGeorges Henein(一九一四─一九七三)をライフワークの研究テーマにかかえている。フランス文学講師という職業を有効に利用して、六年間の日本滞在中も、大阪から気軽に上京し、小学生並みの日本語の手紙をくれ、白石かずこさんにインタビューし、日本の詩人たちの作品を仏訳して、日本における現代詩の状況を母国の詩誌にレポートし、韓国まで足をのばして『朝鮮組曲Suite Coréenne』という瀟洒な詩集を発表し、日本を舞台にサイエンス・フィクション小説を書き、と、彼の視線の鏡面に写るすべてを作品化せずにはおかない貪欲さがすこしずつふくらんでいった。詩誌『ポエジイ』102号(二〇〇三年二月)に掲載された帰仏後の長詩「影とともに」を読むと、十年前を知る者にはその成長は眼を見張るばかりである。マルクは日本への赴任前、イタリア、フェラーラにフランス文学講師として二年滞在した。そんなキャリアからも、文体は難解というよりも、言葉による生理感覚、自意識の把握と表現を試みながら、東洋礼賛、西洋主張といった偏りはなく、しかも西洋人である自分の生理に写る異文化へのネガティブな感覚の把握ももらさない。民族の生理、性感覚を理解の突破口としようとする態度は、コベール独特のものであるといえるだろう。