宇佐美孝二 usami kouji


 

●著者略歴

宇佐美孝二(うさみ・こうじ)
1954年愛知県生まれ
詩集に:
『空の擬音が、ふ』1987・不動工房
『ぼくの太りかたなど』1990・七月堂
『浮かぶ箱』1997・人間社(第38回中日詩賞)
『虫類戯画』2005・思潮社(第5回詩と創造賞 2006年名古屋 市芸術奨励賞)
『ひかる雨が降りそそぐ庭にいて』2010・港のひと
『森が棲む男』2015・書肆山田
 ほかにアンソロジー詩集、アンソロジー評論等
 
日本現代詩人会、中日詩人会各会員
個人詩誌「アンドレ」、「アルケー」「幻竜」同人

 

●「あとがき」より

黒部節子は不思議な運命のなかを生きた詩人である。
西洋的な物語構成、謎を含んだ独特な語り口。それが黒部節子の世界だと思ってきた。が、その奥にもうひとつ、違った貌が現れた。それが作品分析で見てきたような東洋的な世界観である。
井筒俊彦は「コトバ以前」にある、捉えきれないものを「アラヤ識」として説明する。それは、捉えきれないところから来る一種の〈悟り〉であるが、同時に、「限りない妄想現出の源泉」であり、「『真如』の限りない自己開顕の始点」であるとしている。(『東洋哲学 覚書──意識の形而上学』井筒俊彦著 中央公論新社)
黒部節子の世界は、東洋思想のいわば二律背反性をも見事に具現化している、と言える。彼女の作品に登場する「空」のイメージ、夕ぐれや、夕ぐれのむこうに浮かぶ皿や悲鳴、それらは単なる空想の産物ではない。「私」から解放された、「わたし以前」の世界観であることは確かだ。
こうした独自な世界観をもつ黒部節子の作品世界は、四十歳で脳内梗塞に倒れ、闘病生活を余儀なくされた生活の中から生まれたことを考えると、詩というものの逆説性を感じないわけにはいかない。黒部が健康な生活の中で詩を生産し続けたなら、単にユニークな才能に恵まれただけの詩に終わっていたかもしれない。病があったからこそ、その才能が比類ないまでに開花したとも言えるのである。
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この評論集は、「序」を「詩人・黒部節子の魅力」として、中日新聞・夕刊(二〇一四年五月一六日)に発表したものと、拙個人詩誌「アンドレ」・NO・5(二〇〇三)、NO・6(二〇〇四)、NO・7(二〇〇七)、NO・8(二〇〇八)、NO・9(二〇一一)、NO・10(二〇一四)、NO・14(二〇二〇)に発表したものから成っている。
発表が時系列順ではないため、引用作品や記述の内容に多少の重複が見られるが、その時点での整合性を考えあえてそのままとしたことをお断りしておきたい。